近頃の世間の薄汚さは何なのだろう。街も人もファッションも、すべてに於いて薄汚く見えてしかたがない。
以前にもファッションやトレンドとしての薄汚さという物は確かに存在した。例えば60年代のヒッピーなどはその代表格であろう。
しかし、今の町中を見回してみて目にする薄汚さは、あのヒッピームーブメントとは明らかに異なったシロモノである。
何がこれまでのファッションとは異なるのだろう。
例えば破れたジーンズ。別にいまさら目新しくもないファッションであるし、継ぎが当たっていないからと言って眉をひそめるほどオレは年寄りではない。
ただ、最近見かける
破れたジーンズは
不潔なのである。破れたジーンズがおしゃれとして認知されたのは、ジーンズという衣服は何度も何度も洗って行くうちに色や風合いが良くなると言うビンテージジーンズの発想の延長上にあるからだと思う。
ジーンズは白糸とインディゴ染め糸で構成された綾織りのデニム生地で作られている。だから、インディゴが薄くなって行くと白糸の存在感が前に出て何とも言えない良い色になって行くのだ。
しかし、近頃見かける破れたジーンズは薄茶色く垢染みた色をしている。要するに
浮浪者の衣服と変わらないと言えよう。
また、スウェットの上下などという情けない服で街を歩いている人も多くなった。詳しくは言うまい、アレをみると
脱走してきた入院患者にしか見えないのだ。
さらにはブランドの名前を大書した服。私が若い頃、コカコーラのロゴが入ったTシャツを着ていたら、「金を払って宣伝服を着るのはバカじゃないのか」と祖父に言われて苦笑いしたものだが、今となってはその時の祖父の気持ちがよく判る。
おまけにその手のブランド服はクリーニングしたが最後原形をとどめないのか、洗わずに着続けている様子が見えることが多い。着ている本人は気づいていないのだろうが、小さなシミや変色が目についてしかたないのだ。
まぁ、どんな見かけの服を着ていようと着ている人の勝手だが、近寄ると
臭ってきそうなのは願い下げである。
しかし、そんな服を着た若者、いや中年と言っていいほどの年齢の人までがそんな格好で街を歩いているのだから悲しくなってくる。
薄汚いと言えば街を走るバイクは酷いものだと思う。
スーパートラップに代表される改造マフラーを取り付け、必要なパーツを取り外して骨組みだけになったような恥ずかしい姿のバイクで街を走る勇気は大したものだと感心してしまうくらいだ。
ちょっと前までは、あんなにうるさくておかしな格好をしたバイクに乗っているのは
珍走団くらいしかいなかったが、最近ではごく普通の若者がそうした
不細工な乗り物に乗っているのである。
なんだか世間全体がバカになって、しかもそのバカを喜んで喧伝して歩いているのだから情けないことこの上ない。
今回ばかりは何がどうと上手く言うのが難しい。また機会があったら具体例を挙げてぼやくことにしよう。