最近、若年無業者を称してニートと呼ぶそうだ。もともとイギリスで作られた言葉で、現代社会の新分類とでも言える姿である。
既に世間では、このニートなる若者に対して対策の必要性や、その原因としての教育や家庭でのしつけなどについて言い尽くされるほどの議論がなされている。
そこで、今回は私流の見方を、特にニートたち本人に読んでもらいたいと考えつつ披瀝してみたい。
日本では総務省が
労働力調査という統計を行っている。
この中で、
調査期間中に少しでも仕事をした人は
従業者と呼ばれる。家事労働以外、家業であれパートであれ、もしくは期間労働やアルバイトであれすべて
仕事をした人として数えられるのだ。家事や通学・勉強のかたわらに仕事をした場合でもこの中に含まれる。
調査期間中、全く仕事をしなかったと言う人でも、一時的に病気やけがなどの理由で
仕事を休んでいたと言う人は
休業者と呼ばれ、
従業者と合わせて
就業者のうちに数えられるのである。
N
EETの
E、"in
Employment"の状態の人はこれである。
さらに失業してしまって、仕事を探している途中の人は
完全失業者と呼ばれる。仕事を全くしていないし、仕事をするための組織への所属もないと言う状態である。それでも統計の上では
就業者と合わせて
労働力人口に数えられているのである。
NEE
Tの
T、"in
Training"とは職業訓練を受けていることを指すが、職探し中もこれに入れればいいのかも知れない。
では「非労働力人口」とはどういう状態の人なのだろうか。まず、学業に専念し、調査期間中一時間たりともアルバイトをしていない学生がこれに当たる。
NE
ETのもうひとつの
E、"in
Education"はこれだ。
さらに家事労働に専念する主婦や主夫も非労働力人口になるし、高齢者や調査期間中には仕事に従事できない障害者や長期療養中の病人・けが人などもこちらになるが、完全にリタイヤした高齢者は別として、それ以外の人は別の仕事や訓練・治療に専念していると捉えれば無業者たり得ないわけである。
この労働力人口と非労働力人口を合わせたものが「15歳以上人口」と呼ばれている。
そして
NEETの
Nとは"
Not"なのである。上のどれにも当てはまらないと言うわけだ。つまり、"Not in Education , Employment or Training"と言うわけである。
こうして見てみると、学校や職業訓練にも通わず、仕事もしていない。病気やけがの治療やリハビリをしているわけでもない。所帯を支えるための家事労働をしているわけでもない。さらに、仕事や訓練に差し支えるほどの肉体や精神に障害があるわけでもない人と言うのは、総務省の統計上存在しないことになっている。
言い換えれば
ニートなどという人間は初めから存在しないことになる。なぜだろう。その答えは
日本国憲法第27条にある。
「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」
非常に判りやすい。日本国民は働くことを妨げられないし、働かなくてはいけない。と言うことだ。日本国憲法において国民の権利と義務を定めた条文は第10条から第40条までだが、その中で義務と言う言葉を使って直接的に国民の義務を定めた物はたった三つである。
第26条の2:すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。
第27条:すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
第30条 国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。
子供に教育を与え、働き、税金を納めなさい。これが日本国憲法に明記された国民の義務のすべてと言っても良い。権利と義務の後の条文はほとんど国民の権利を定めた物である。
しかも、義務教育と税金は「法律の定めるところにより」と但し書きが着いているし、税金については「国民は」であり、他の2つは「すべて国民は」である。つまり、税金については基本的に義務であるが、負わない場合もあり得ると言っているのだ。
と言うことで、憲法に定められた無条件の義務とは唯一「勤労の義務」なのであり、それは同時に権利でもあるのだ。
言い換えれば、この
日本国という国は働かない国民の存在を許していないのだ。もちろん働けない人間の存在や働き終わった人間、働く前の人間や休んでいる人間の存在は許容範囲であろうが。
だから政府の統計の中に、他の条件がすべて満たされているはずなのに無業状態にある人間と言うのを含まないのは当然のことなのである。
もちろん、求職活動をあきらめた失業者は完全失業者のカウントに入ってこないから、統計上ニートと同じ扱いになるだろう。しかしながら、職安に通って仕事を探す努力を重ねた上での失業者の場合、例え非正規雇用であっても仕事に就いているケースが殆どであろう。なぜなら食べて行かねばならないからだ。
精神的に追いつめられて仕事に就けず、僅かな蓄えを食いつぶして命を繋ぎながら苦しんでいる人が自虐的に「自分はニートだから」と言うのは全く当たらない。その人は既に心の病と闘っており、経済的に支えてくれる家族がない場合、それを治療する充分な余裕がないという問題であり、これは行政なりの手助けを必要としているという意味から、むしろ早く地域の行政や民生委員などに救いを求める
勇気を持って欲しいと願うのである。
同じように家族に食べさせて貰っていても、例えば就職活動の失敗や、社会との関係を上手く築けないこと、あるいは就職した上で人間関係などから上手く馴染めず退職したような場合、社会生活に悪影響が強く出るような傷を負ってニート化している場合もある。
これもある種病気治療を要する状態と同じなので厳密に言えばニートとは呼べないであろう。
だから、家族なりに助けを求め、ソーシャルワーカーや行政、あるいは医療機関などに相談して、
病気として、職に就けない状態を治療すべく努力されたいと心から望むのである。
本当に問題視すべき、そして厳密に文字通りのニートとは、
享楽的であったり
反社会的な習慣が子供の頃から身についてしまっていたり、
「働いたら負けかなと思っている」的発言が出る、崩れた自己表現しかできない
甘えの状態にある人であり、なおかつ経済的に親兄弟などに
寄生したり、
生活保護などを不正とも言える方法で受給し生活している場合だ。
そうした人間は、社会保障の枠内に存在している分、それを捨ててある種の世捨て人の道を選んだホームレスよりも性質が悪い。
あなた自身がそうであったり、身近にいわゆるニートがいる場合、もう一度その状態を見つめ直して欲しい。まずは本当に唾棄すべき無業者なのか、救いを他者や自分自身に求める必要がある要治療者なのかを見極めることからやり直すことだ。
そして
助けを必要とする状態なのであれば、誰にでも良い、できるだけ身近にいる人に助けを求めてみることから始めよう。できれば市町村のお役所が一番だ。代表電話にかけて、福祉関係の部署に繋いで貰えば相談はできるはず。その一本の電話であなたの人生は変わり始める。
もし、対応が悪ければ次の役所だ。市区町村役場へ電話をして対応が悪ければそのことを都道府県役場へ電話して愚痴ることを含めて相談すればいい。
それでもダメならインターネットでこれを読んでいる以上検索という手だてがある。例えば
こんな感じで検索して近くの相談窓口を探してみよう。心に傷がある場合、こうして外部へアプローチすることに多大なエネルギーを必要とすることは理解している。しかし、そのエネルギーは必ず元が取れるのだ。
枝振りの良い松を探す気力があるなら、他の物を探してみるのも良いんじゃないだろうか。人間わざわざ殺したり自殺しなくても放っておけば100年も要さずにそのうち死ぬ。だから無駄な労力を使うより、美味しいことを探す方がトクなのだ。
そしてもし、不幸にも自分は単なる甘えた寄生虫だと気づいたら、まずはアルバイト探しだ。例え出勤初日の一時間でケンカして辞めても良い。いや面接段階で履歴書の書き方が悪いと追い返されても良い。
納得できない理不尽さを社会に感じて、負け続けなければいけない自分にはらわたが煮えくり返っても、また負けることを承知で次の挑戦ができるようになったらニートは卒業できる。卒業できずに35歳を超えればもうニートとも呼んでもらえない。若年という言葉も取れて、晴れて単なる「無業者」となるのだ。