突然ではあるが、ちょっと質問。
牛乳を買おうと思った時、
エコロジーという観点から見て、もし
価格が同じならあなたはどれを購入するだろうか。
- リターナブル(回収再利用できる)ガラス瓶入りの物
- 普通の紙パックの物
- ペットボトル入りの物(実際には存在していないが)
表面的に見ればリターナブル瓶の物を購入するのが最もエコロジカルな気がするのではないだろうか。
しかし、
実際にはどれが最もエコロジーに役立つのかは判らない。
リターナブル瓶を使えば、使い捨てにされることもなく30回から50回も繰り返し使えるので、ゴミ減量の観点からも大変好ましいと言える。
しかし、一方で
リターナブル瓶は重いのだ。
紙パックの牛乳は1リットルあたり、牛乳の重量平均1032グラムと紙パック重量約30グラムで、1062グラムである。
一方、リターナブル瓶の場合多くは900ミリリットル入りになるため、牛乳929グラムに瓶の重さが460グラム、合計1389グラムとなる。
これを10トントラックで運ぼうと考えた場合、ケースの重さを5%と考えて試算すると紙パックの場合8945リットル運べるのに対して、リターナブル瓶だと6155リットルしか運べない。
これでは判りにくいのでちょっと言い換えると、仮に24000リットルの牛乳を運ぼうとすると、
紙パック入りなら10トントラック3台で間に合うところが、瓶入りだと4台必要になると言うことだ。
もちろん、これは製品としての牛乳を運ぶ段階での話である。それの前に入れ物だけを運ぶ場合、24000リットル分の入れ物は紙パックだと720キロ、リターナブル瓶だと12267キロにもなる。
つまり、
紙パックなら軽トラック3台でおつりが来るのに対して、リターナブル瓶だと4トントラック3台でもまだ足りないと言うわけだ。
以前から問題にされている通り、紙パックはバージンパルプから作るため、
木材資源の濫費になると言えることに間違いはない。
しかもリサイクルしたからと言ってそれがそのまま牛乳パックになるわけもない。せいぜいがトイレットペーパーや外装箱などに再利用されて終わるのが関の山である。
そうした観点から言うと瓶は瓶として洗って使える物が省資源という観点から大変好ましい物であろう。
しかし、本日発効した
京都議定書にもある通り、温室効果ガスの発生を抑制することは、今後の人類の存亡をかけた事柄になるかも知れないのだ。
重量を移動させるエネルギーはそのまま温室効果ガスの増加に直結すると言っても過言ではないだろう。
そうした観点から生協などでは超軽量リターナブル瓶なる物の開発を行い、40%程度の軽量化にも成功している。しかし、後述するがこれにも
問題がないわけではないのだ。
牛乳の入れ物については厚生労働省の省令によって規定されていて、その昔、この省令ができた頃にはまだペットボトルが存在していなかったため、現段階ではまだペットボトル入り牛乳はない。
ヨーグルトやフルーツ牛乳などの乳製品は既に承認申請から認可が行われペットボトル入りが販売されている。
しかし、牛乳は特別に手続きが大変で、認可申請の手続き上、安全性の実証データも提出しなければならないそうだ。だからメーカーもそこまでコストをかけられないのか、今のところ実用には至っていない。
しかし、
ペットボトルは重量的には紙パックと同等である。しかも洗浄再利用とは行かないまでも、
ボトルを原料に戻し再度新品のボトルを作るというリサイクルが2年ほど前から実用化し行われている。
つまり、多くの人が毎日飲む牛乳の入れ物として、全体のエネルギーや資源を考慮に入れた場合
ペットボトルが最もエコロジカルな入れ物かも知れないのだ。
にも拘わらず、お役所は面倒な手続きを改めようともしないし、メーカーも言い訳だけに終始して手をつけようとはしない。
もちろん、きちんと検証しないとペットボトルがベストだとは言えない。それでも可能性としての部分に初めから目をつむっているようでは京都議定書に規定された削減目標の達成など、到底不可能なのではないだろうか。
樹脂についての考え方は様々あろうが、基本的にPETはダイオキシン類や環境ホルモンと縁のない安全といえる部類のプラスチックである。それに
生協が開発した超軽量リターナブル瓶は、強度を確保するためウレタン樹脂でコーティングされていることを考えれば似たような物だと言って良いだろう。
むしろ、超軽量リターナブル瓶は破損や寿命でリサイクルを必要とする際に、
コーティング樹脂とガラスの分離が上手く行くのかどうかが不安である。
ここではどれが良いのかの結論は言わないし言えない。
ただ、安直に紙パックは資源の浪費、PETボトルは無駄、昔ながらの回収可能な瓶が一番などというステレオタイプで安直な考えにハマって、業者の金儲けに踊らされないようにだけはしたいと言うことを述べておくに留めよう。
様々な可能性や、多面的な物の見方をして、情報が足りなければ要求して行く姿勢がこれからの消費者には求められるのではないだろうか。